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【市民ライター投稿記事】晩秋の水沢鉱山をたずねて 北上ヒストリーツアーその2

2023年12月15日

市民ライター 三宅 優子

 

 

こんにちは、市民ライターの三宅優子です。

 

 

今年の夏、私はついに、ずっと行きたいと思っていた水沢鉱山跡を訪ねることができました。青々とした新緑の中に残る青みがかった煉瓦の美しさ、人工物を飲み込む緑の勢いに圧倒されたとても充実した山行でした。そのときの様子を紹介した記事もありますので、水沢鉱山って?という方はぜひそちらもあわせてご覧いただけるとうれしいです。

 

 

【市民ライター投稿記事】山間に眠る鉱山跡をたずねて 北上ヒストリーツアー(内部リンク)

 

 

今回は、紅葉も終わりにさしかかった晩秋の水沢鉱山を、さらにディープなところまで歩いてきましたのでその様子をご報告します。そして、この水沢鉱山ツアーを企画している「北上巣箱」の深津咲奈さんに、起業する前の地域おこし協力隊員であった時代のこと、卒業してからの思いなどのお話を聞いてきました。そちらも合わせてご紹介していきますので、ぜひ最後までご覧ください。

 

 

11月12日、当日のお天気はくもり。お昼ごろからはあいにくの雨予報です。

 

 

鉱山探検のスタート地点である製錬所跡まで乗用車で移動します。

 

 

 

 

前回もその美しさに感動した製錬所跡のカラミ煉瓦。夏は生い茂る緑と、カラミ煉瓦の青みがかった色の調和がとても素敵でしたが、今回は冬を目前にして落葉した植物とのコントラストが効いていました。この季節は、夏には植物に覆われて見えなかったところも見えるようになっていて、操業時の規模の大きさをイメージしやすいのかもしれません。

 

 

製錬所跡から斜面を登っていきます。夏と違って藪漕ぎは必要ありませんが、落ち葉と昨日の雨ですこし足元は不安定です。夏に見学したのとはまた別の煙道が。全盛期、いったい何本の煙道が現役だったんでしょうか。

 

 

 

 

 

暗くて吸い込まれそう。

 

 

製錬所、煙道見学のあとは、沢歩きに挑戦しました。

 

 

 

 

 

沢に降りてすぐ、火薬庫の跡がありました。他の建物とおなじくカラミ煉瓦製。煙道のときにも思いましたが、ひとつひとつがものすごく重いカラミ煉瓦、きっと運んでくるのだって大変だったはず。当時の苦労が偲ばれます。

 

 

 

 

沢を降りていくと、途中にカラミ煉瓦を用いた構造物。これって小さな砂防ダムなんじゃないかと思っていますが、どうなんでしょうか?ご存知の方がいたらぜひ教えてください。

 

 

ついに降ってきてしまった小雨の中、沢を下っていくと、製錬所跡と山神社を結ぶ林道に突き当たります。

 

 

 

 

山神社さんにご挨拶。今日も無事に探検することができました、ありがとうございます、の感謝を伝えます。

 

 

本日の水沢鉱山探検はこれで終了!草木の勢いがなくなった秋にしか見られない景色をみることができました。

 

 

 

 

鉱山探検のあとは、山神社の管理をされている甲谷要作さんのお宅にお邪魔して、里宮にお参りさせていただきました。

 

 

 

 

帰りは岩沢駅から運転しないといけなかったので、御神酒は香りだけいただきました。

 

こうして新しく地元の方と出会うきっかけにもなって、前回を上回る充実したツアーとなりました!このツアーの企画をしている北上巣箱の深津さんは、私と同じ静岡県出身。地域おこし協力隊就任をきっかけに北上市に移住して6年目の深津さんに、北上に来たきっかけや来てからのこと、協力隊卒業後のお話などを聞いてみました。

 

 

Q 北上に来る前はどんなお仕事をしてたんですか?

 

 

A  東京で人材会社の営業をしてました。お金はあっても、仕事の内容が自分のやりたいことと合っていなかった感じがして。やりがいの方を大切にしたい、好きな分野で人の役に立つ仕事がしたいなと思ってました。

 

 

Q  転職活動はどんなことをやってみたんですか?

 

 

A  それまで気になっていたことを、まずはとにかくやってみました。歌手になる道を模索したり、劇団に仮入団したり、競輪合宿に参加してみたりもしました。そして、もうひとつ、帰省するたびに地元の商店街がシャッター街になっていることが気になっていました。地域活性の力をつけて、いつか地元の役に立ちたいという思いがあり、地域おこし協力隊に興味をもつようになりました。

 

 

Q いろいろチャレンジしながら探していた時に、北上市の地域おこし協力隊の募集と出会ったんですね。北上市の協力隊のどんなところに魅力を感じましたか?

 

 

A  北上市の「スポーツとアウトドアで北上のファンを増やす」というミッションに魅力を感じて応募しました。私自身がずっとスポーツの世界で生きてきたのと、自然が好きだったので、好きなことに携われるという点に惹かれました。

 

 

Q  協力隊ではどんな活動をしていたんですか?

 

 

A  1年目はそもそも北上がどういう場所か全然わからなかったので、市内の観光施設を見に行ったりしていました。そうこうしているうちに秋になり…協力隊っていう看板を背負っているので、なにかしなきゃっていう思いが募っていきました。そんなときに所属先の先輩から、雪あかりのイベントをやってみたらどうか?と持ちかけられて、チャレンジしてみることにしました。

 

 

Q  みちのく民俗村でやったイベントですよね?

 

 

A  そうです。あのイベントが協力隊としての初仕事でした。雪あかりのイベントをやろうとしたんですがそもそも地元の焼津市は雪が1ミリも降らないんです。しかも北上市に来て1年目の冬なので、どのくらい雪が降るかもわからないし、雪あかりの作り方もわからない状態からのスタートでした。そもそもイベントを主催すること自体もはじめてで・・・。とにかく周りの人に聞いてまわりました。

 

 

Q  当時、たまたまさくらホールで会った時に、「雪あかりイベントで音楽演奏してくれる人いませんか?」って探していましたよね?

 

 

A  そう、あの時はギリギリの状態でした。「やばいやばい」って思っていました。いろんなところに相談に走り回っていました。初めましてなのに突然「誰か雪あかりイベントで演奏できる人いませんか?」って、今思えば相手もびっくりしたと思います。でもそんな私に親切に協力してくれる人が結構いて、あのイベントが実現できました。正直あの時の私の実力では本来は難しいイベントだっと思います。

 

 

そのイベントの準備のときに感動したことがあって。イベント直前の何日間かは、もうほぼ寝ない状態でレイアウトをどうするんだとか、ボランティアの人たちにどう伝えるんだみたいな細かいところをずっと詰めていて。前日の夜も、民俗村のスタッフの人たちと準備をしていたときに、近所のおばあちゃんから電話が来て「いま何してるんじゃ?」って。「民俗村で打ち合わせをしてるよ。もう明日雪あかりイベントだからさ」と答えたら「今から行くじゃ」って言われて電話を切られて。「こんな夜にどうしたんだろう?」と思っていたら、本当に民俗村に来てくれて、両手にスタッフ全員分のおふかし(おこわ)とお漬物とお茶っこを持っていて……もう涙が止まらなくなってしまって……スタッフのみんながいたのに。どんだけ優しいの!?って。出会って半年なのに、そこまでしてくれることが信じられませんでした。そうやってみんなのおかげで雪あかりのイベントをなんとか開催することができました。

 

 

Q  当日はお客さんいっぱいいましたよね。賑やかだな〜って思いました。

 

 

A  たぶん初開催だから興味をもってくれた人も多かったんだと思います。大変でしたが、このイベントのおかげでいろんな人と知り合えたので、チャレンジして良かったです。

 

 

 

 

Q  初仕事の雪あかりイベントが終わってからはどんなことをしたんですか?

 

 

A  雪あかりイベントを2月に開催して、その年の4月にサイクリングイベントを開催しました。湧水で暮らしているお宅や、滝と水車小屋が隣り合う「お滝さん」など暮らしに溶け込んだ魅力的な場所を自転車で巡り、道中では地域のばっちゃんが作った「がんづき」を味うイベントです。(「がんづき」は北上市の郷土菓子で、黒糖で味付けした蒸しパンのような食べ物です。)

 

 

▲親水公園「お滝さん」

 

 

その後、5月には水沢鉱山のハイキングイベントを開催しました。その後も、そういった北上の暮らしに溶け込んだ魅力的な場所を体感できるイベントをそれぞれのシーズンで企画していきました。

 

 

 

 

 

Q  協力隊卒業後も北上で暮らしたいと思っていたんですか?

 

 

A  そうですね。もともと協力隊卒業後は北上で起業するつもりでした。ただ何で起業するかは決めていなかったので、協力隊卒業を控えた3年目になり、本格的に考えるようになりました。「自分だからできることってなんだろう?」って。東京でバチバチにやっていた時間を経て、北上に来たからこそわかる北上の良さを、もっとたくさんの人と分かち合っていけたらいいなと思いました。というのも、北上の暮らしがすごく良かったんですよね。うちの地元も自然があるけど、おっきな自然が暮らしの中にあって、日々、四季の移り変わりを感じることが出来て。9月になると、どーーんと広がる田んぼが一面黄金色になって、風で稲穂が一斉に揺れる・・・その音を聞いていると、なんとも言えない豊かな気持ちになるんです。自分で思っていたよりも東京での日々に疲れていたみたいで、水を張った田んぼに映る青空や、雪原を照らす朝日が美しくて、自然と涙がこぼれてしまうことも何度かありました。それに、ばっちゃんが親切にしてくれて。地域の皆さんが手伝ってくれたり。そういうことがすごい沁みました。3年間を通して、癒されていきました。そうした思いから、「豊かな自然と地域のあたたかい人と触れること」をテーマにしたツアーをやっていくことに決めました。

 

 

 

 

 

Q  起業後は順調でしたか?

 

 

A  起業して1年目(2021年)がコロナ禍だったので、あまり人を呼べる状況ではなくって…。地域の人の気持ちも考えると、「どうぞ都会から来てください」とは言えませんでした。なので、実質去年(2022年)くらいから広報を少しずつ始めました。起業して3年目になりますが、実質1年ぐらいしか活動できていない状況です。

 

Q  北上で暮らして面白かったことや大変だったことは何かありますか?

 

 

A  北上は飲み屋さんはいっぱいあるけど、夜営業しているご飯屋さんが少なくて、東京にいた頃は基本外食だったので、最初はちょっと辛かったです。でも、産直で野菜を買ってきて自分で作るようになって、北上の野菜がめちゃくちゃ美味しいことに気づきました!!焼いて塩をかけるだけのシンプルな料理で、新鮮な野菜の味がしっかり味わえるんです。ヤーコンなど味わったことのない野菜や天然のキノコなんかもあって、どんな味がするかなぁって、お買い物も楽しいです。

 

 

あとは映画館もスタバもあるのに、山まで15分で行ける。絶妙な距離感。娯楽もあって、自然もあって、とても住みやすいです。このバランスが気に入っています。

 

 

▲北上市の名産・アスパラガス。食卓で主役を張れるくらいジューシー!

 

▲春になると産直に並ぶ山菜。天ぷらが最高です!

 

 

Q  それすごくわかります!ところで「北上巣箱」っていう屋号、とっても素敵ですが、屋号はどうやって決めたんですか?

 

 

A  北上の自然や人に触れて、癒されてほしいという思いが根底にあります。屋号はいろいろ候補が出ましたが、「帰ってくる場や拠り所」になりたいって思ったときに、「シェルター」か「巣箱」だなと思って。周りの人から巣箱のほうが「深津っぽい」「似合うよ」って言われて。でも巣箱だけじゃ何かが足りない気がして、私にとっての巣箱が北上だったので、北上と組み合わせて「北上巣箱」にしました。「羽を休めて飛び立つ準備をする場や時間」を、これからもたくさんの人に届けていきたいです。

 

 

 

そう話す深津さんご自身も北上でのびのびと羽ばたいているように感じました。

 

 

北上を知らない方には知ってもらうきっかけに、北上のことはもうよーく知っているよという方にはいつも見ている北上を違う視点からじっくり味わえるツアーを催行されている北上巣箱さん。ちょっとだけ体力は必要ですが、気になる方は是非ツアーに参加してみてください!