KITAKAMI NEWS

【20代の肖像】vol.29 いつも患者さんに寄り添う看護師へ。

2022年7月27日

きたかみリズム×きたかみ仕事人図鑑

 

 

 

 

いつも患者さんに
寄り添う看護師へ。

 

 

vol.29  志田礼菜(しだ れいな) 24歳

 

 

入院時の不安と寂しさを支えてくれたもの。

 

 

小さい頃は身体が弱くて入退院を繰り返していた志田礼菜さんにとって、「看護師」は特別な存在でした。

 

 

「両親が共働きだったので、病室にひとりでいる時間が多かったんです。私も小さかったので不安や寂しさがあったのですが、そんな私にいつも寄り添ってくれていたのが看護師さんでした」

 

 

実は礼菜さんのご両親も看護師さん。というわけで「看護師」は身近な存在でもあり、その仕事が不安や寂しさを抱えた患者さんに寄り添う大切な仕事だと身を持って知った礼菜さんは、「看護師」になることが将来の夢になりました。

 

 

その想いは変わらず、高校は5年制の看護科のある盛岡市の学校へ。実家のある奥州市から盛岡までは電車通学のため、病院での実習が増える3~5年生になると始発で通うこともしばしば。ときには友人と盛岡のホテルに泊まって実習先の病院に通っていたそう。

 

 

 

 

「憧れの仕事でしたし、いっしょにがんばる友人もいたので学校は楽しかったのですが、実習は本当に大変でした。特に看護記録は毎日つけないといけないのですが、それが大変で寝る時間を削って書いていました」

 

 

その努力が実を結び、高校卒業後は埼玉県にある療養型の病院へ。

 

 

「7つ下の妹が埼玉にあるバドミントンの強豪中学に進学したので、妹のサポートもしてあげたいと思ってその病院で働くことに決めました。

 

 

患者さんの入れ替わりが激しい急性期の病院ではなく療養型の病院を選んだのは、少しでも長くじっくり患者さんに寄り添えるような働き方をしたいと思ったからです」

 

 

笑顔でそう語ってくれた礼菜さんは、そのとき小さい頃から夢だった看護師の世界へ大きな一歩を踏み出したのでした。しかし……。

 

 

▲学生時代、友人と。向かって右が礼菜さん。

 

 

▲5年制の看護科を卒業したときの様子。

 

 

「あなたで良かった」という言葉に励まされて。

 

 

「最初の頃は患者さんとのコミュニケーションがうまくできなくて、思うように観察(言葉だけでなく、顔色や声色などさまざまな側面から患者さんの変化を読み取ること)もできなくて苦労しました」

 

 

新人時代を振り返ってそう語る礼菜さん。学生から社会人となって、「看護師」という仕事の難しさを改めて痛感したのでした。

 

 

しかし、患者さんと長く寄り添いたいと療養型の病院を選んだのが、礼菜さんにとっては幸運でした。患者さんとじっくり向き合う過程でコミュニケーションも上手にできるようになり、長くひとりひとりの患者さんと接することで毎日のちょっとした変化にも気づけるように。

 

 

 

 

また、療養型の病院には寝たきりで言葉も話せない患者さんも多かったそうですが、そうした患者さんにも視線を合わせて声をかけるなどのコミュニケーションを大切にしていたそう。

 

 

そうした積み重ねが、患者さんにも伝わったのでしょう。

 

 

「ある患者さんから『今日の夜勤は誰?』と聞かれて『私です』と答えると、『あなたで良かった』と喜んでくださったことが忘れられません。その方は私が入職したときから居た方だったので、そう言っていただいたときは本当にうれしかったです」

 

 

笑顔でそう語る礼菜さんですが、辛い体験も。

 

 

「療養型の病院なので患者さんをお看取りすることも多かったんです。やっぱり患者さんと長くかかわる仕事なので、ひとりひとりの患者さんに情が入って、そういう方をお看取りするのは辛かったです。

 

 

でも、一番辛いのはご家族さんで、なかなか現実を受け入れられないという方もいらっしゃって、そういうときにどのように言葉をかけて差し上げたらいいか、本当に悩みました。私たち看護師としては、亡くなる前の様子をお伝えすることくらいしかできないのですが、それでもそういうお話をするとご家族さんも少しずつ気持ちが整理されて、落ち着かれていくようでした。

 

 

患者さんはもちろんですが、ご家族さんへの寄り添い方も大切だと学ばせてもらった3年間でした」

 

 

そう語る通り、埼玉県の病院で充実した時間を過ごしていた礼菜さんが、岩手県に戻ってきたのは今年の春。何がきっかけだったのでしょう。

 

 

▲大好きな祖父母と。向かって左の女の子が礼菜さん。

 

 

▲「病院」から「在宅医療」の世界へ飛び込んだ礼菜さんは、慣れない環境で戸惑うことも多いそうですが、「なんでもやさしく教えてくれる先輩たち」のお陰で、「とてもいい環境で仕事と向き合えています」と笑顔。

 

 

家族といっしょに。その大切さを未来へ。

 

 

「去年の12月に祖父が突然亡くなったんです。もともと去年の夏に脳梗塞を発症して身体に麻痺が残ったので老人施設に入ってはいたのですが、危篤状態というわけではなかったんです。それが急に……。

 

 

老人施設に入ってからはコロナの影響で面会制限があったので会えなくて……。でも状態は安定していたので、そのうち会えるだろうと思っていたら……。私は両親が共働きだったので、祖父母によく面倒をみてもらっていたんですよ。ですから最期はきちんと看取りたいと思っていたのですが、埼玉だと……。

 

 

祖父が亡くなったという知らせをもらったときも、私は夜勤明けで寝ていたので最初は全然気づかなくて……。慌てて新幹線に乗ったんですけど、大宮から水沢まで2時間くらいなんですが、すごく長く感じてずっと泣いていました」

 

 

そこで礼菜さんは、せめて祖母はきちんと看取りたいとこの春に岩手県にUターン。4月から北上市内で在宅医療にたずさわる「ホームケアクリニック えん」の看護師として働いています。

 

 

さて、なぜ「えん」で働こうと思ったのでしょう?

 

 

「私は患者さんに寄り添う看護師になりたいとずっと思っていて、そうしたなかで以前から緩和ケア(疼痛・呼吸困難・全身倦怠感・浮腫などの苦痛症状のケア、患者さん・ご家族への喪失と悲嘆のケアなど)の認定看護師の資格に興味がありました。

 

 

『えん』の美保さん(看護師長)はその資格を持っている方で、実は看護師の母もその資格を持っているのですが、その資格を取得するときに美保さんのお世話になっていて、そういう母からの紹介もあって、せっかくなら緩和ケアの資格を持っている美保さんの下でいろいろ学ばせてもらいたいと思ったんです」

 

 

▲礼菜さんが特に尊敬しているお二人。向かって右より、髙橋美保看護師長、千葉恭一院長。

 

 

そう語る礼菜さんですが、病院から患者さんのご自宅へ、看護師として働く場所も大きく変わりました。そこに戸惑いはないのでしょうか。

 

 

「在宅医療には以前から興味があったのですが、一番驚いたのが患者さんがご自宅に帰ってくるととても喜ばれるんですよ。やっぱり自分のお家に帰ってくると、解放された気分になるんでしょうか(笑) それを見ていると家族といっしょにいられるって、すごく大切なことなんだと思うんですよね。

 

 

認知症の祖母がいるんですが、祖父のこともあったので、今度は私が在宅で看取ってあげられたらと思うようになりました」

 

 

いつも患者さんに寄り添う看護師へ。

 

 

新しい土地で、在宅医療という新しい分野にチャレンジする礼菜さんですが、その道のりは夢に向かってまっすぐのびています。

 

 

▲患者さんのご自宅へ訪問する際は、青いカゴを持って出発。

 

 

▲カゴの中には診療グッズがぎっしり。

 

 

▲「えん」のみなさんと。医師、看護師、ソーシャルワーカー、作業療法士、ケアマネージャー、ヘルパー、薬剤師など多職種が連携する在宅医療は、「それぞれ違う視点で患者さんを看ているので、みなさんとお話しているだけでとても勉強になります」と礼菜さん。

 

 

志田礼菜さんが働く職場:ホームケアクリニック えん

 

 

岩手県北上市青柳町2-5-15
Tel/0197-61-5160