KITAKAMI NEWS

【市民ライター投稿記事】国見山・平和観音のお話

2022年3月15日

市民ライター 橋本 朋子

こんにちは、市民ライターの橋本朋子です。

 

 

今回の記事は、一般社団法人北上観光コンベンション協会専務理事の八重樫信治さんに取材をさせて頂きました。画像は如意輪寺の菊池英寛様の貴重な資料を八重樫さんから提供して頂いてます。

 

 

八重樫さんにはきたかみE&Beエフエムで私がパーソナリティーを務めているラジオ番組、SaturdayRadioLovers=サタデーレディオラバーズ(毎週土曜日12時~15時)に昨年6月にご出演頂きました(今年の3月はじめにアーカイブ放送をしました)。黒沢尻の開祖にちなんだお菓子を食べながら、平和観音像のお話しでも盛り上がりました。

 

 

▲八重樫信治さん

 

 

北上市には標高244mの国見山という市民に親しまれている山があります。
展勝地レストハウスからほど近く、奥州市と隣接する所にあるのですが、昭和生まれの北上っ子ならば一度は登っている(または登らされている)のではないでしょうか。

 

 

ハイキングコースが整備されていて、国見山藩境コース(みちのく民俗村がスタートでゴール。約3時間・3.8km)や、健脚極楽寺コース(桜並木を歩くコース。約3.5時間・8.5km)、1992年のバルセロナオリンピックで銀メダル、1996年のアトランタオリンピックで銅メダルを獲得した女子マラソンのレジェンド、有森裕子さんによる有森裕子コース(約1時間15分・4.5㎞)なども人気です。

 

 

私が挑戦してみたいのは三十三観世音巡りコース(約1時間・1.3km)です。
極楽寺を基点とし、胎内くぐり(胎内くぐりとは、山岳や霊地の狭い洞窟などを通り抜けて肉体と魂を浄化し、新たに生まれ変わるという修行の場です)を通り、大悲閣展望台で景色を堪能し、平和大観音を巡ってから下るコース。

 

 

約1時間のこのコースなら運動不足の私でもなんとか行けそうです。
(三十三観音は、昭和37年の平和大観音建立のあとに手掛けられ、昭和43年にかけて建立されたものです)

 

 

この国見山、頂上の岩場には大悲閣展望台があり、素晴らしい眺めを見せてくれます。その展望台の北側を進むと平和観音像が優しいお顔で迎えてくれます。

 

 

▲平和観音像

 

 

高さは約4m、重さは2250kg、昭和38年1月1日に開眼式が執り行われています。建立当時は花こう岩製の観音像では日本一の大きさだったそうです。
西山を向き、雄大な北上川を臨みながら私たちの街を見守ってくださっています。
今回はこの平和観音像の建立に、当時、情熱をもって取り組んだ人々のお話しを紹介したいと思います。

 

 

実はこの辺り、奥州藤原氏の文化より200年以上も前に文化の中心の地であったのです。八重樫さんから伺ったこの時代のお話しもとても面白く、これを書き起こそうとすると前九年の役、後三年の役なども調べ上げなくてはならなくなります(間違いを書くと大変なので)ですから、これは高橋克彦氏の著書「炎立つ」をお読み頂くのが一番です。大河ドラマをご覧になった方も多いはず。

 

 

大変興味深く、ドラマティックな物語が北上の地にあるということに驚きます。

 

 

さて、平和観音像の建立の発願者は宮初(みや そめ)さん、当時73歳。展勝地を産んだ沢藤幸治さん(通称サワコウさん)の実の妹さんです。

 

 

▲宮初さん

 

 

初さんは昭和31年に北海道から故郷の黒沢尻に戻り、国見山山麓の廃屋・極楽寺の山坊を仮住まい(現在の極楽寺付近)とし、生きているうちに故郷のために何かひとつでもという思いを抱きながら、境内や国見山一帯の清掃や草刈り、植樹などをし、自然とともに生きておられました。

 

 

そんなある日、この一帯が、平泉文化より200年以上も前に仏教文化が栄えた聖地と知りました。その後、この地で暮らしているとひしひしと霊気を感じるようになり、ついに昭和34年5月、霊場復元のために国見山頂上に平和観音像の建立を発願し、その資金100万円を目標に一人100円の寄進運動を開始しました。

 

 

建立の目的は「戦乱の犠牲者を慰霊すること」「地方民心の精神道場にすること」「地方観光の一助とすること」この三つの願いだそうです。

 

 

73歳のこのバイタリティ、凄いことです。気力も体力も必要なこの大事業、この寄進運動がきっかけとなり、様々なことが動き始めます。

 

 

当時の国見山山主で安楽寺の住職は、金堂や多宝塔などを建立され、国見山仏跡復興を願い、建設勧進助辞なるものを作成し支援をしたり、当時の公園委員で画家の藤原八弥さんが寄付をお願いする文書を広く配布したりしました。さらに、北上市、市観光協会、市教育委員会、市議会等々が協力を始めました。

 

 

しかし難航を極め、初さんは心身の疲労で病床に、平和観音建立実行委員会実行委員長の斉藤重吉さんはノイローゼ気味になったとも。

 

 

苦難を乗り越え、昭和37年に平和観音像は愛知県岡崎市の石田観仙氏によって作り上げられ、和野内繁松石材店主の協力により北上市に到着したのです。
そしてこの像がなんと諏訪神社に仮置きに!巨大な像は寝っ転がってまるで涅槃像。

 

 

▲仮置きされた様子

 

ちょっと怖い……縄がかけられているのは運搬作業のためです、念のため。
さあ、いよいよ建立のめどが立ち、諏訪神社から稲瀬町までトラックで運搬します。

 

 

▲トラックから積み下ろす様子

 

 

そしてなんと、稲瀬町民60人ほどが5日間かけて山頂に引き上げたのです!
11月ごろとされていますから、決して暖かくはありません。
それを手で引いていくなんて、この熱量が凄すぎます。
「観音様のためならエーンヤコーラ!」と聞こえてきそうです。

 

 

▲頂上に引き上げる様子1

 

 

▲頂上に引き上げる様子2

 

 

ついに12月28日に平和観音像建立完成しました!
31日夜から裸詣りマラソン(!)山頂焚火祭り、花火大会などが行われました。
きっと苦楽を共にした皆さんが大いに楽しみ、喜び合ったことでしょう。
昭和38年元日は観音像の序幕、開眼式となり、奉納神楽や民俗芸能公演、ブラスバンドの演奏などがお披露目されたとのことです。

 

 

▲建立・お祝いの様子

 

 

国見山廃寺から平和大観音、平泉文化よりもずっと前に栄えた仏教文化、本当に興味深い内容がたくさんあり、書ききれるものではありませんが、まずはこのお優しい平和大観音様の建立のいきさつをご紹介させて頂きました。

 

 

八重樫さんによると展勝地100周年記念誌(令和4年2月発行)には、展勝地にまつわる年表なども掲載されているとのこと。そしてもっと興味深いお話しも掲載されているとのことです。手に取ってお読みいただき、私たちにかけがえのない財産を残してくださった先人の皆様の情熱に触れてみてください。

 

 

雪が解けたら国見山に登り、改めてその風景の素晴らしさ、自然の美しさを堪能して頂けたらと思います。