KITAKAMI NEWS
【市民ライター投稿記事】北上夜曲の正体を求めて
「北上といえば何?」と聞かれて展勝地の桜を答える人は多くいると思いますが、
桜よりも普段から北上市民の生活に根付いている北上ならではのものがあります。
それは北上夜曲です。
北上では昔からお昼や夕方の時刻を知らせるものとして北上夜曲のメロディが街に流れています。
しかし、そのメロディがどこからどのようにして流されているのか長年北上で暮らす私でも実際に見たことがありません。
そこで今回は北上夜曲の実態を明らかにするため調査と取材をすることにしました。
「北上夜曲はどこからどうやって流れてくるのか?」
北上夜曲がどこから流れてくるのかについては私が子供の頃には諸説ありましたが
(「昼間は消防署から流れ、夜は市役所から流れている」や「展勝地から流れている」など)現在は消防署だけから流されています。
ところがどのようにして流れているかについては聞いたことがありません。
そこで調査を開始する前に予想をたてました。
それがこちら
予想1:時間になると北上夜曲を鳴らす係の人がスピーカーの所へ行き、ラジカセのCDなりカセットテープを流す。
予想2:プロの木琴奏者がいて時間になるとスピーカーの前で木琴を鳴らす。(2年に1回くらいちょこっと間違えちゃったりする)
予想3:時間になるとコンピュータが作動し自動で北上夜曲が流れる。
さあ、皆さんも考えてみましょう。
いざ取材開始!
早速北上夜曲を流している北上地区消防組合消防本部へ取材に行きました。
応対してくださったのは総務課の主幹兼課長補佐を務める高橋周一(たかはししゅういち)さん。
消防署のロビーの壁に飾られている大きな絵を見ながら高橋さんの説明がはじまりました。
この絵は昭和51年に阿部円次さんにより描かれた当時の消防庁舎で、中央には市内を見渡すことができる望楼が描かれており、どうやら当時の時点でこの望楼から何らかの音は流れていたとのことでした。
高橋さんが事前に消防のOBの方々に北上夜曲はいつから流れはじめたのか聞いて調べてくださっていましたがご存知の方はいらっしゃいませんでした。
大公開!これが北上夜曲の正体だ!
続いて高橋さんに案内された場所は通信室。
この通信室では119番通報を受けた盛岡の指令センターからの出動指令を受信し、隊員の方々に出動指令が伝えられています。
そして、その通信室の奥の部屋に入るとそこには今までに見たこともない、無線とボタンがたくさん付いた機械がありました。
その機械には「北上夜曲」と書かれたカードが挿し込まれています。
現在、北上夜曲は正午と17時に流れるようタイマーで管理されています。
ということで、予想3が正解です。(プロの木琴奏者がいると思っていた私・・・う〜ん、ザンネン!)
もうじき正午ということで高橋さんが庁舎の屋上に案内してくださり間近で北上夜曲を聴くことができました。
街に鳴り響く愛の鐘
その後、事務室へ案内され、高橋さんが「北上市消防史誌」という歴史書を見せてくださいました。
それによると消防署に望楼が建てられたのは昭和32年のことで、夜の7時から朝の7時までの12時間、当時15名だった署員が1時間交代で望楼に登り火災を見張っていたそうです。その望楼に「愛の鐘」と呼ばれるものが昭和34年に設置されました。
愛の鐘について「この愛の鐘は、望楼の踊場の外側に四方に聞こえるように十二ヶ所のスピーカーを取り付け、朝の六時、昼の十二時、夕方の五時、夜の九時と一日四回鳴り響くようになっており、朝の鐘の音は、市民の眠りを心よく目覚めさせ、昼の鐘は昼食時を告げ、夕方の鐘は子供らの遊びからの帰宅、勤め人には一日の仕事の終わりを知らせ、そして夜の鐘は静かに人々の眠りを誘う。この鐘の音は毎日聞いていて飽きがこない、暮らしの中にとけこんだ愛の鐘の音である。」と記されており、市民の生活を見守る音であったと思われます。
その愛の鐘の系譜を継いで現在は北上夜曲が流れています。
ここで今回お世話になった高橋さんをご紹介します。
高橋周一さん
昭和46年生まれ
黒沢尻工業高校卒業後、5年間民間の会社に勤めた後、人のためになる仕事を目指し消防士の道へ。東日本大震災当時は震災3日後に釜石市へ赴き緊急消防援助隊として務める。
北上の好きな場所や景色
川岸の堤防。そこから見える北上川と珊瑚橋とその奥に早池峰山が重なるポイントで最高のロケーション。ジョギングが好きで朝走っている時に見る北上川の水面から立ち昇るモヤや朝焼けなど気象によって見え方が違う。
好きな曲
サザンオールスターズの曲
市民の方に向けて一言
市民の方が安全に暮らせるよう職員として頑張ります!
新たな出会い 北上夜曲と北上薬局
消防署の取材を終えたの束の間、次は北上夜曲に対する市民の声を聞くためインタビューをすることにしました。
「北上夜曲・・・北上・・夜曲・・薬局!薬局の人にインタビューしてみよう!北上薬局ってあるのかな?」
そしてGoogle検索で北上薬局を発見し、早速北上薬局さんへ取材をすることにしました。
応対してくださったのは北上薬局の向井基記(むかいもとき)さん(37歳)。
「今回北上夜曲について北上薬局さんにインタビューということなのですが向井さんは北上夜曲はご存知ですか?」と聞くと「北上夜曲と北上薬局・・・たしかに似ていますね。」とニコリとした向井さん。
向井さんは北上夜曲をご存知ではありませんでしたが私は北上薬局さんにインタビューに来て本当に良かったと思いました。それは、向井さんは広島県のご出身で北上に来て2年目ということで北上についてまだあまり詳しいことをご存知でなかったからです。「北上の魅力を伝える役割ってそういうことだよな。」と自分の役割を実感しました。
向井さんの北上の好きな景色は展勝地沿いの景色。ドライブが好きな向井さん。「裏道などが好きなので敢えて4号線ではなく展勝地側の道を自然を感じながら走っています。」とのこと。
薬剤師としてのやりがいについて「来局される方の薬の相談をはじめ、今なら新型コロナのワクチンについての相談を受けるなど健康の相談窓口としてお役にたてることです。」と話しました。広島に帰省の時には「五郎がびっくり焼き」をお土産に持って行くそうです。
向井さんの他にもう一人、故郷から遠く離れた北上で働く若者に出会いました。
青木要拓(あおきもとひろ)さん(25歳)岐阜県出身。
青木さんは岐阜県出身で、今年新卒で薬剤師として北上薬局に配属になり、この4月から働きはじめたばかり。
北上へ来てまだ2ヶ月の青木さん。「もうじき車が納車になるので楽しみ。色々なところに行ってみたい」と話しました。
薬剤師の仕事については「まだ仕事を初めたばかりなのでできることは限られますが徐々に仕事を覚えていきたい」とのこと。今後の活躍が楽しみです。
今回、取材にご協力いただいた方々については、急なお願いにも関わらず、ご対応ありがとうございました。感謝申し上げます。
北上夜曲の役割
最後に今回の取材を通して私が発見したことは、北上夜曲はかつての「愛の鐘」がそうであるように、北上に暮らす人々の生活を見守る音であるということです。
向井さんや青木さんのように北上から遠く離れた地方出身の方を優しく迎え入れ、北上での幸せな生活を願う音です。
普段は生活に馴染みすぎていて気にも止めないこともあるかもしれませんが、ふと耳を澄まして北上夜曲を聞いてみてください。