KITAKAMI NEWS

【20代の肖像】vol.15 たくさんの想いに支えられ。 北上市の歌舞伎文化を未来へ。

2021年5月25日

きたかみリズム×きたかみ仕事人図鑑

 

たくさんの想いに支えられ。
北上市の歌舞伎文化を未来へ。

 

~vol.15 高橋 青利 (たかはし あおり)27歳~

 

 

1年振りの舞台へ。お客さまの、さらに近くへ。

 

みちのく三大桜名所にも数えられる展勝地の「さくらまつり」で大人気なのが絢爛豪華な衣装に身を包み、満開の桜並木を優雅に練り歩く花魁道中。その艶やかな時代絵巻をひと目見ようと、毎年多くの見物客が押し寄せます。

 

しかし2002(平成14)年にはじまり、東日本大震災の年を除いて毎年開催されてきたこの名物行事も、昨年コロナで中止に。また、今年は開催こそできたもののコロナ対策として混雑を避けるため、桜並木の近くにある「みちのく民俗村」の演舞場に舞台を移しての開催となりました。

 

この日、10回目の花魁を務めた高橋青利さんは「今年が正念場」だと強い気持ちで舞台に立ったそう。

 

 

▲4月18日(日)に「みちのく民俗村」の演舞場で行われた花魁道中にて。中央が青利さん。

 

「去年はコロナの影響で舞踊も歌舞伎も全然できなかったんですよ。小さい頃から “当たり前”のようにやっていたことができなくて、すごく寂しかったです」

 

 

 

だからこそ1年振りにお客さまの前で披露する今回の舞台には、青利さんも期するものがありました。

 

「舞台は足元が安定しているので、より美しい所作をお見せできる。外を歩く花魁道中は舞台よりもお客さまとの距離が近いので、より身近に花魁道中を楽しんでいただける。そのように舞台には舞台、花魁道中には花魁道中の良さがあります。

 

ですから今回は美しい所作にこだわりながらも舞台の中だけに小さくおさまらないように、舞台に立つ自分と客席にいるお客さまとの距離をどう近づけるかを大切にしました。

 

“花魁”というと凛としたイメージがあると思いますが、自分の場合は笑顔を褒められるので、表情を豊かにして少しでもお客さまに“花魁”を身近に感じてもらえたらと思ってやりました」

 

“当たり前”だと思っていた舞踊や歌舞伎ができない1年を乗り越えて。お客さまにさらに寄り添う青利さんの姿がそこにありました。

 

 

▲花魁道中は2002(平成14)年からスタート。写真は1年目から10回にわたって花魁を務めた橋本珠央さんで、青利さんも「これぞ花魁!」と憧れる存在。珠央さんが着ている紫が艶やかな着物は、2007年のドラマ「吉原炎上」で主演を務めた観月ありささんも着用。

 

▲花魁道中を彩った歴代の花魁たち。写真左の中央・笑顔が印象的な花魁が青利さん。

 

▲青利さんは9歳のとき、第2回の花魁道中から参加。最初は「禿(かむろ)」(写真右の中央が青利さん)、続いて「振袖新造(ふりそでしんぞう)」(写真左下)を経て、17歳で花魁デビュー。

 

 

 

気づけば舞台に。舞踊と歌舞伎に囲まれた子ども時代。

 

青利さんは人前で初めて踊りを披露したときのことをよく覚えています。それは今から20年以上も前。

 

▲中央が5歳の青利さん。「海道一の大親分」と称された清水次郎長の子分(写真左より森の石松・小政・大政)の心情を歌った「旅姿三人男」の踊りの衣装で。

 

「この前(橋本稲荷)で『旅姿三人男』を踊ったんです。5歳のときでした」

 

橋本稲荷は「橋本かつら店」の敷地内にあり、その縁日で兄たちと一緒に踊りを披露したのが“初舞台”だそう。

 

 

「ここで(橋本かつら店)舞踊や歌舞伎も教えているので、小さい頃からそれはすごく身近で、気がついたらもう踊っていました」

 

 

 

舞踊はもちろん演劇や歌舞伎で使用されるかつらの製作から衣装のレンタル・着付け・化粧、さらには小道具・大道具の製作までを一手に手掛ける「橋本かつら店」。

 

通常なら分業で行われるこれら裏方の仕事をワンストップで提供できる同店のようなお店は希少で、商圏はひろく東北をカバー。ときにはドラマ用に花魁衣装も貸し出すなど業界でも頼りにされており、「こんなお店、世界でもうちだけでしょう」と同店の代表を務める髙橋イ子さんは胸を張ります。

 

青利さんは、黒沢尻歌舞伎保存会の会長と橋本舞踊劇団の座長も務めるそんなイ子さんの9人いるお孫さんのひとりで、その全員が舞踊と歌舞伎をやっているそう。

 

あって“当たり前”と語っていた舞踊や歌舞伎は、青利さんにとって日々の暮らしの一部なのでした。

 

▲青利さんに衣装を着せるイ子さん。この日は親子三代で歌舞伎談義。

 

 

▲黒沢尻歌舞伎保存会の公演より。かつらや衣装はもちろん舞台の背景や建物などの大道具まですべて「橋本かつら店」で対応。「自分たちですべてまかなえるので、公演も毎回違う出し物ができるんです」とイ子さん。

 

 

▲青利さんが5歳で初めて「旅姿三人男」の踊りを披露した橋本稲荷。

 

 

 

受け継がれる想いを次の世代へ。

 

ここで北上市の歌舞伎について簡単に触れておきましょう。時代は1912(明治45)年。この地に木造二階建て・客席数800の芝居小屋が建ち、旦那歌舞伎・娘歌舞伎・芸者歌舞伎などが盛んに行われていたそう。

 

やがて戦争や時代の移り変わりとともに衰退しますが、地域で育まれていた地芝居の文化を伝承すべく1980(昭和55)年に誕生したのが「黒沢尻歌舞伎保存会」です。

 

同保存会では伝統の知識と技芸を深めるため、1992(平成4)年より上方舞の名手・吉村雄之輔氏を招へい。さらにその文化を次の世代に伝えるべく、2006(平成18)年より文化庁の事業として市内の小・中学生を中心に「こども歌舞伎教室」も開催するなど活動を続け、現在に至ります。

 

もちろん、青利さんも「こども歌舞伎教室」のメンバー。

 

 

「メンバーは20人ぐらい。男女も半々で世代も近いので、部活をしているような楽しさがありました。なかには、こども歌舞伎について弁論大会で発表して優勝したり、歌舞伎の絵を描いて美術展で優勝したりする子もいて、本当に歌舞伎を好きな子ばかり集まっていました。そういうみんなに引っ張られて今の自分があると思っています」

 

現在、「黒沢尻歌舞伎保存会」の会員はおよそ50人。そのなかには青利さんを含め「こども歌舞伎教室」に通っていたメンバーの半数が在籍。さらに仙台や東京などに就職したその他の仲間たちも公演があると駆けつけるなど、その絆は昔のまま。

 

当時の様子を懐かしそうに語るそんな青利さんに、今後の夢をうかがうと……。

 

「本当にいろいろな方が黒沢尻歌舞伎に協力してくださっていて、未だに『こういう方もいらっしゃるんだ』と驚く出会いがあります。そういうたくさんの方に支えられて黒沢尻歌舞伎というものがある。それってすごいことだと思うんです。例えばこれを今からつくろうと思っても……。ですから次は自分たちがその魅力を若い世代に、もっと子どもたちにひろめていきたいですね」

 

北上市で受け継がれ、守り育てられている黒沢尻歌舞伎。その想いはコロナを乗り越え、次の世代へと受け継がれています。

 

▲「気づいたら踊っていた」と語る青利さんは、歌舞伎だけでなく舞踊にも深い想いが。

 

 

▲子どもの頃は機械体操もやっていた青利さんは、トンボ(宙返り)を切る立廻りが得意。「黒沢尻歌舞伎では自分しかできないので、その技を確立していきたい」とのこと。

 

 

▲2019年12月22日に開催された公演を終えて、保存会のメンバーと。写真左下の中央が青利さん。

 

 

高橋 青利さんが所属する団体:黒沢尻歌舞伎保存会(事務局:橋本かつら店)

 

岩手県北上市新穀町1-8-5

Tel/0197-63-4529