KITAKAMI NEWS

【20代の肖像】vol.14 蚕は「家族」。いっしょに紡ぐ“養蚕”の未来。

2021年5月13日

きたかみリズム×きたかみ仕事人図鑑

 

蚕は「家族」。
いっしょに紡ぐ“養蚕”の未来。

 

~vol.14 松岡 冴(まつおか さえ) 27歳~

 

 

 

運命の出会いは、悲鳴とともに。

 

 

「じいちゃんが建築士だったせいか、私もそういうのが好きで高校時代は椅子をつくったり、家を設計したりして、将来はそういう道かなと思っていたんです。でも、大学のオープンキャンパスで “染織”と出会って衝撃を受けました。『一本の糸から着物をつくるってすごい!』と(笑)」

 

それがきっかけで、東京から京都にある大学の染織テキスタイルコースに進んだ松岡 冴さん。建築士になるとばかり思っていたご両親もびっくりの選択だったそうですが、そんなご両親をさらに驚かせる運命の出会いは、そのあとに……。

 

 

▲蚕の幼虫。

 

「ある日突然、講師の先生が蚕(カイコ)の幼虫をみんなに配ったんですよ。『育ててみろ!』って。そこで初めて蚕に出会ったんですが、クラス全員が女子で、みんな触れなくてキャーキャー騒いでいました(笑)

 

しかも、蚕の糸は繭玉を煮てほぐしてから採るんですが、1個から採れる糸はほんの少しだけなんですよ。ほんの少ししか採れないのに、『こんな小さな命を殺さないといけないのか』と思ったら怖くて……。

 

でも、怖がっているうちに蚕が成虫になって卵を生んじゃって……。蚕は1頭で500個ぐらい卵を生むんですけど、1頭でも怖いのにそれが500頭も……。扶養家族が一気に増えたようで、もう私が飼育するしかない。怖いなんて言っていられない状況でした(笑)」

 

結果、自分のアパートで5,000頭もの蚕を飼育するまでに。しかも、世話しているうちに蚕にも慣れ、繭玉から採った絹糸を染め、自分で着物を織るまでに……。ちなみに、そこまでした生徒は大学でも松岡さんただ一人だったそう。

 

以来、松岡さんにとって蚕は大切な「家族」となりました。

 

 

▲成虫になった蚕と卵。

 

 

▲松岡さんがお世話になっている「(株)更木ふるさと興社」で2019年9月に開催された養蚕体験イベントの様子。左上が松岡さん。養蚕の魅力をひろめるのも松岡さんの仕事ですが、コロナの影響で……。

 

 

 

“養蚕”の仕事を求めて、南へ、北へ。

 

 

“染織”がやりたくて大学もその道に進んだ松岡さん。しかし、かわいい「家族」ができて、夢は“養蚕”を生涯の仕事とすることになりました。

 

しかし、全国に養蚕農家がいて日本の一大産業として養蚕業が栄えた時代は遠い昔。外国産の安価な絹糸や化学繊維などの普及とともに、手間と時間のかかる養蚕業は衰退し、北上市でも最後の養蚕農家が2016年に廃業しています。

 

そうした厳しい状況のなかでも松岡さんは“養蚕”ができる会社を探しあて、大学卒業後は奄美大島へ。しかし、結局そこでも着物や帯のデザインや“染織”しかできず……。

 

そんなとき、地域の課題に取り組む地域おこし協力隊の制度を利用して未来の養蚕経営者を育てる北上市のプロジェクトを知り、迷わずチャレンジすることに。

 

京都、奄美大島を経て、松岡さんが北上市に移住したのは2019年4月のこと。以来、桑畑の管理をはじめイチから養蚕技術を学びながら同年12月には伝手を頼って個人で倉庫を借り、“染織”を行う工房も設立……。

 

しかし、松岡さんは“染織”よりも“養蚕”がやりたくて北上市にやってきたはず……。さて、その狙いは?

 

 

 

▲一般的な養蚕農家は桑畑で桑の木を育て、その葉っぱを餌に春から秋にかけてカイコを飼育し、良質な繭玉をつくって製糸業者に出荷して収入を得るそう。右下は、繭玉から紡いだ絹糸。

 

 

 

▲松岡さんの工房。「さらのき工房」という名前は、松岡さんの活動の拠点となる「更木(さらき)」という地名と、お釈迦様と縁が深い「沙羅の木」から。ずっと“養蚕”が続けられますようにという願いを込めて、「お釈迦様にあやかってみようと思って」と笑顔を浮かべる松岡さん。

 

 

▲工房のなかには機織り機があり、これまでに8枚のストールを制作。しかし、1枚つくるのに2ヵ月以上も……。そこでストールとは別に、手づくりでも量産できる新商品の開発に挑戦中!

 

 

▲松岡さんが手掛けたストール。右下の桑の実色の絹織物は、大学時代につくったものだそう。

 

 

廃棄される繭玉も、“染織”で新たな価値へ。

 

 

「私が一番やりたいのは “養蚕”です。でも養蚕業は厳しくて、それだけでは食べていけません。でも、それでも“養蚕”を続けようと思ったとき、繭玉を出荷するだけでなく、自分で染織して付加価値の高い商品をつくって販売できたら、それを副業にして“養蚕”を続けていくことができるんじゃないかと思ったんです」

 

松岡さんが染織で利用する絹糸は、製糸業者に出荷できない「雑繭」(ざっけん)と呼ばれる繭玉から紡いだもの。通常、製糸業者に出荷される繭玉は厳選されたもののみで、少しでも汚れがあると「雑繭」となり産業廃棄物として処分されます。しかし手間はかかりますが、汚れさえ取ってしまえば立派な絹糸に。

 

しかも、廃棄するだけだった繭玉を松岡さんが買い取り利活用できる仕組みをつくれれば、それは他の養蚕農家にも、さらには環境にも、なんと言っても一生懸命に繭玉をつくってくれた蚕に報いることにも……。

 

と夢をふくらませる松岡さんですが、養蚕家として独立を目指すヒトとして北上市の環境をどう見ているのでしょう。

 

「地域のみなさんには本当に親切にしていただいて、そのお陰で自分の工房も持つことができました。桑の剪定の仕方から染織まで養蚕のことならなんでも詳しい方もいて、いろいろ相談に乗っていただけるのも心強いです。

 

それに寒暖差が激しい場所で育つ桑は、自分でエネルギーをギュッと蓄えやすいんですよ。ですから人間がきちんと手入れをすれば桑もおいしく育つし、それを与えれば蚕もモリモリ食べてプクプク大きく育ってくれる……。寒暖差の激しい北上市は蚕にとってもいいところです」

 

そう力強く語ってくれた松岡さんは、「家族」=蚕の話になると言葉にもさらに熱がこもります。

 

“養蚕”がやりたくて……。その想いだけで北上市にやってきた松岡さんは、“養蚕”はもちろん工房の設立、染織による商品開発とさまざまな可能性をひろげてきました。しかし、“養蚕”を生涯の仕事とするためには、まだまだ課題も多くあります。

 

しかし、それでも……。その眼差しは、「家族」といっしょに紡ぐ“養蚕”の未来に向かって、真っすぐ伸びていました。

 

 

▲蚕を飼育する倉庫も工房の隣に。いよいよ6月から今シーズンの“養蚕”がスタート。「蚕と会えるときが一番テンションあがります!」と興奮気味に語る松岡さん。

 

 

▲松岡さんの“染織”は繭玉から糸を紡ぐところからスタート。作業の効率化とコスト削減のため、自動で糸を紡ぐ機械(写真左下)も自作。「高校時代は椅子もつくっていたので、こういうのは得意なんです」と松岡さん。

 

▲開発中の新商品……。

 

 

▲松岡さんが「何でも相談する」と頼りにしている阿部信治さん(写真右)は、「(株)更木ふるさと興社」と協働で養蚕事業に取り組む岩手大学発のベンチャー企業「(株)バイオコクーン研究所」の方。新商品の開発も……。

 

 

 

 

松岡 冴さんが働く職場:さらのき工房