KITAKAMI NEWS

【20代の肖像】vol.63 運命の2日間。 あのときの自分を信じて。

2025年5月30日

きたかみリズム×きたかみ仕事人図鑑

 

運命の2日間。

あのときの自分を信じて。

 

 

vol.63 多田 穂乃佳(ただ ほのか) 25歳

 

 

 

小学校の先生になるための体験実習のはずが……。

 

障がいのある児童生徒が学ぶ岩手県立花巻清風支援学校で働く多田穂乃佳さんは、支援学校の講師となって2年目。現在は小学2年生のクラスの副担任として子どもたち一人ひとりと向き合いながら、「支援学校の先生になる」という目標に向かって奮闘中です。

 

 

 

 

「私は大学生のときに小学校の教員免許を取っているので、他の種類の教員免許を取得するために必要な免許法認定講習もすでに受けていて、あとは教育現場で3年の経験を積めば支援学校の教員採用試験を受けられるようになります。

 

教育現場の経験では、北上みなみ分教室(北上市内にある花巻清風支援学校の分教室)で1年半講師として働かせていただいて、この春から本校に異動となったので、残りの1年半は本校で講師としてさまざまな経験をさせていただきながら、支援学校の先生になれるようにがんばっています」

 

そう力強く語ってくれた穂乃佳さん。現在は何の迷いもなく大きな目標に向かって突き進んでいますが、その道のりは……。

 

 

 

 

穂乃佳さんが支援学校の先生の仕事に興味を持ったのは大学3年生のとき。教員免許を取得するために必要だった支援学校での2日間の体験実習がきっかけでした。

 

「私は小学校の先生になりたくて大学で教職課程を学んでいたのですが、支援学校のことについてはほとんど知りませんでした。でも、2日間だけでしたが支援学校で体験実習をさせていただいて、子どもたち一人ひとりに合わせて学習内容を考えて、子どもといっしょに取り組まれている先生方の姿がすごく印象的で……。

 

例えば、時計の読み方を学ぶことによって時間の感覚が理解できるようになると、時計を見ながら日常生活が送れるようになります。そうなると1日のスケジュールを意識して行動できるようになって、日常生活を送るうえでその子の不安も減っていくし、自立した生活を送るための基礎にもなっていきます。

 

支援学校の先生方は、そうした自立につながる学習を工夫しながらされていて、すごいなと思ったんです」

 

そう語ってくれた穂乃佳さんですが、当時は小学校の先生になろうと思っており、加えてたった2日間体験実習をしただけであったため、「支援学校のことを何も知らない自分にはできない」と勝手に思い込んでいたそう。

 

そもそも、穂乃佳さんが「小学校の先生になろう」と思ったのは……。

 

 

▲穂乃佳さんが担当する小学2年生の教室に置かれたボード。イラスト入りで1日のスケジュールをわかりやすく視覚化。同じようにイラストや写真入りのカードも持ち歩き、子どもたちが理解しやすいように配慮しているそう。

 

 

▲大学3年生のときの体験実習は、現在働いている花巻清風支援学校の本校で行ったそう。写真は、体験実習を終えて学校からプレゼントされたカード。

 

 

▲障がいのある児童生徒たちが学びを深める「花巻清風支援学校」は花巻市にある本校(小学部・中学部・高等部)の他、北上みなみ分教室(小学部・中学部)、遠野分教室(小学部・中学部)、岩手県立中部病院内の北上分教室(小学部・中学部)がある。

 

 

釜石の小学校に転校して1年目の奇跡。

 

穂乃佳さんは親の転勤に合わせて、小学5年生から中学3年生まで釜石市で過ごしました。東日本大震災が起きたのは、穂乃佳さんが釜石市の小学校に転校してもうすぐ1年になるときだったそう。

 

「昔、祖母が釜石に住んでいたことがあって、『釜石で暮らすなら市がやっている避難訓練に参加した方がいいよ』と言われたんです。でも、そのときは『なんで土曜日なのに参加しなきゃいけないの』とか思いながら、市の避難訓練に嫌々参加していました」

 

そうしたなかで起こった東日本大震災。穂乃佳さんが通っていた鵜住居小学校の児童は、津波が迫るなか日頃の避難訓練にのっとって素早く高台へと走り、全員が無事に避難。のちに「釜石の奇跡」と呼ばれますが、その児童のなかに穂乃佳さんもいたそう。

 

 

 

 

中学を卒業後、再び親の転勤で北上市に引っ越してきた穂乃佳さんは、その経験をもとに地元の高校に通いながら、関東の高校生たちに防災の大切さを伝える取り組みにも参加。

 

「私自身も祖母に言われて嫌々避難訓練に参加するくらい防災意識はなかったのですが、そういう風に日頃から地域で防災に取り組んでいたからこそ私たちも今があるわけで……。同世代に防災の大切さを伝える活動をしているうちに、『小学校の先生になって子どもたちに防災の大切さを伝えていけたら』と思うようになったんです」

 

 

▲運動の時間。みんなでプレイルームに集合!

 

 

しかし、大学で小学校の教員免許は取れたものの……。

 

「やっぱり支援学校で経験した2日間の体験実習の印象が強くて……。でも、大学では小学校の教職課程の勉強しかしていなくて、支援学校の先生の免許は取っていませんでした。そういう状態だったので、諦めるためにも違う仕事をしようと思って、『それなら好きな釜石で働こう』と決めたんです」

 

しかし、そこでも……。

 

「釜石と言えば“魚”ということで、魚を扱う食品工場に就職しました。職場は楽しかったのですが、仕事は同じ動作が多くて、それで手を負傷してしまって……。病院に行ったら先生から『しばらく仕事を休んだ方がいい』と言われて、仕事を辞めて北上市に戻ることにしたんです」

 

それから4ヵ月ほど休養し、体も元気になった頃、求人サイトでたまたま目にしたのが「花巻清風支援学校 北上みなみ分教室」の講師の仕事。

 

穂乃佳さんは「今しかない」と思ったそう。

 

 

▲運動の時間にみんなでウォーキング。

 

 

▲教室に貼られたポスター。東日本大震災での穂乃佳さんの経験が役立ちそう。

 

 

あのときの自分を信じて、支援学校の先生へ。

 

念願叶って「花巻清風支援学校 北上みなみ分教室」の講師に採用された穂乃佳さん。

 

「私は産休を取られた副担任の補充として入ったのと、北上みなみ分教室では固定ではなく、いろいろなクラスに入れてもらえる環境だったので、いろいろな先生の授業を間近で見させていただくことができました。

 

そこで感じたのが、先生方が子どもたち一人ひとりに合わせて、その子に必要な学習方法を考えて、いろいろ工夫して授業をされていて、『私がやりたいのはこれだ!』と(笑)

 

それは大学3年生のときに花巻清風支援学校の本校で体験させていただいた2日間の実習で感じたことと同じ気持ちだったので、あのときの自分を信じて支援学校の先生の道に進んでいたらとよく思っています(笑)」

 

 

▲2023年8月から2025年3月まで講師として勤務した「北上みなみ分教室」での授業の様子。

 

 

笑顔でそう語ってくれた穂乃佳さん。少し遠回りはしましたが、「支援学校の先生になる」という目標に向かって、さまざまな経験が積めている今の環境に感謝もしています。

 

「北上みなみ分教室では副担任を半年経験したあと、次の1年は担任として1年生のクラスを任せてもらう貴重な経験をさせていただきました。

 

私が担当したのは児童2人だけの小さなクラスでしたが、その子に今必要なのはどんなチカラなのか、その子が今何に興味を持っていて、どういう学習方法が合うのか……。そういうことを考えながら授業を進めていくのはとても大変だったんですが、1年間担任としてその子の成長をそばで感じられたのは私にとってとても大きかったと思います」

 

 

 

 

穂乃佳さんは大学3年生のときの体験実習で2日間を過ごした本校で、この春から働いています。3月まで働いていた「北上みなみ分教室」は北上市立南小学校・南中学校に併設する教室として通常学級の児童生徒とも交流を図りながら学べる環境がありました。一方、本校は小学部から高等部まであり、たくさんの児童生徒が学べる環境があり、「北上みなみ分教室」とはまた違ったさまざまな経験ができるのではないかと、穂乃佳さんも楽しみだそう。

 

「支援学校の教員採用試験を受けられるようになるまで、あと1年半。それまでにいろいろなことを経験させていただいて、支援学校の先生として働けるようにがんばります!」

 

力強くそう語ってくれた穂乃佳さんに、もう迷いはありません。

 

 

 

 

多田穂乃佳さんの職場:

岩手県立花巻清風支援学校のホームページはこちら

 

 

 

 

岩手県花巻市太田第27-207-4

Tel/0198-28-2421