KITAKAMI NEWS

【市民ライター投稿記事】きたかみ文学散歩に参加して

2024年7月19日

市民ライター 若山 利夫

令和6年度和賀地区健康づくり事業「きたかみ文学散歩」 同行記

主催 和賀地区自治協議会

共催 北上市健康づくり課・和賀地区保健推進員(協力)

講師 日本現代詩歌文学館 主任:八木澤 卓 氏

 

今回のイベントは、和賀地区をほとんど歩き尽くしたみなさんが、北上のまちなかの散歩をということで企画されたそうです。由緒正しいイベントだったのです。

8時30分 横川目駅前に集合。皆さんに紹介して頂きました。

 

 

 

 

9時08分 横川目駅発北上線で、いざ柳原駅を目指す。

 

 

 

 

二十数名の団体がゾロゾロと乗る。思いのほか席が空いていました。

 

私は、若者の前のボックス席を選んで座り込みました。少し走り出したところで声をかけてみたら快い返答が返ってきたので、気を良くしてしばし話を続けさせてもらいました。

 

彼の話によると、ゴールデンウィークに仕事で休めなかったので、今休みをもらって友だちを頼って横手から仙台まで行くとのこと。列車が好きでこの旅行を選んだそうです。柳原駅につくまでその若者と大曲の花火のことや仕事のことなどを話し、楽しく時間を過ごすことができました。話し相手になっていただいた名も知らぬ方ありがとうございました。

 

さて、ここで今回の散歩コースを紹介しましょう。

 

 

 

 

柳原駅前に集まって、ここから講師の八木澤さんと二人の保健師さんが合流。

 

 

 

 

心配だった天候も晴れて気持ちの良い日和となりましたが、一番心配なのは自分の体力でした。何と言っても運動嫌いの運動不足!準備運動の掛け声を保健師さんがかけてくれますが、右向け右と言われても左を向く私の運動神経!おまけに良い天気になってしまって暑さとの戦いが始まると思うと・・・すでに冷や汗が!

 

 

 

 

身のほどを知らずに同行させてくださいなどと言った手前、最後までがんばるぞ!と他の人には聞こえない声なき声でつぶやきながら歩き始めました。

 

昔のことを言うと笑われますが、カメラをもって列の前へ出たり最後部から追っかけたりとかなりアクティブに動いて写真を撮っていたものでした。

 

今日は、はなから一番後からついていく感じ。詩歌の森公園の信号あたりを過ぎカメラのキタムラのところから隊列が引き返してきたので、ノロッコ(以下私のこと)も隊列に合流することができました。ヤレヤレ・・・!

 

 

 

 

それにしても皆さんお元気でいらっしゃいます。やや遅れ気味の方もいますが、その方に「大丈夫ですか?」などという言葉かけはすべきではないと認識しています。だって、ノロッコ自身が頑張ってやっとついて行っているのですから・・・。

 

 

 

 

それでも最初の目的地、橋本児童公園到着。ここには寺山修司さんの碑があるのですが、その碑文には「百年たったら 帰っておいで  百年たてば その意味わかる」と書かれているのですが・・・さて?ノロッコが百年たつと177歳になりますが、寺山修司さん!その時まで生きてこの身を晒せと言いなさるのか・・・などと考えながらシャッターを押しました。そうです!ここで集合写真を一枚。

 

 

 

 

 

 

ここで少々自慢!北上市教育委員会発行の冊子「きたかみ文学散歩」400円也を先日、日本現代詩歌文学館で購入しました。

日頃文学に興味のないノロッコがなぜ今回その気になったか・・・?謎です!

 

なおかつ申し込んでからよく考えると、5kmの道のりを歩く!普段から運動嫌いで運動不足のノロッコです。まずは、泣き言はこのあたりでやめましょう。

 

寺山修司さんの碑がある公園についてから、本石町児童公園で豊田玉萩(とよた ぎょくしゅう)さんを飛ばしてきたことに気付いて少し論議に・・・結局後回しで良いということになりました。

 

というわけで、次は中央児童公園の子日庵一草(ねのひあん いっそう)さんの碑へ!

 

 

 

 

碑は、草むらに隠れるようにあって碑の文字は正岡子規が書いたものだそうです。

「萩見つゝをればそなたに月出る」この句は、情景が浮かんできませんか。なんて勝手な想像をめぐらしています。

 

 

 

 

この公園では、しばしの休憩を思い思いに取りました。私は、木陰に立ってみなさんがそれぞれ秘蔵の宝物や力水を採っているのを見ていました。

 

次は青柳児童公園の斎藤茂吉さんの碑へ向かいます。

 

柳原駅から一番遠い所。このあたりでノロッコの足はかなり疲れています。現役時代ご縁のあった「ホームケアクリニック えん」さんの前を通り、少し元気になったような気になりましたが・・・?

 

「日は晴れて落葉のうへを照らしたる光寂けし北国にして」が刻まれています。碑文は活字だそうですが、サインは自筆の筆跡から採っていますと。(前掲冊子より)

 

茂吉は、北上には来ていないそうですが、その内容が北上にふさわしいとのことで選ばれたと前掲冊子にありました。いかがでしょう・・・皆さんはどこの光景が目に浮かびますか。

 

 

 

 

 

 

続いて、諏訪神社敷地内の松尾芭蕉さんの碑へ!神社へ向かう道が少し登り坂になっています。がんばれ!ノロッコ!

 

神社の前の石段のところで二枚目の集合写真を撮りました!

 

 

 

 

松尾芭蕉は、あまりにも有名な俳人ですが、平泉以北の岩手は未踏だそうです。もちろん北上に訪れていませんとのこと。北上市内の4基の句碑はすべて江戸時代に建てられたものだそうです。

 

 

 

 

続いて向かったのは、アーケードが無くなって久しい諏訪町通から岩手銀行北上支店の正面左側にある浜夢助さんの句碑。

 

 

 

 

 

 

「人の和の永遠にしてまどかな灯」

前掲の冊子によると「北上から岩手県の川柳の興隆に力を尽くした放浪児(高橋放浪児のこと)、その師弟の縁が深い地に、夢助の碑が建てられています。自筆の筆跡が刻まれています。」と書かれています。

 

このあとに訪れたのは後回しになった本石町児童公園の豊田玉萩さんの句碑でした。

 

 

 

 

「神よ我をば何故に日蔭の花と咲かせける 憂ひの露にぬれつゝも一もと淋し野べの薔薇

色香もうすきひともとの野末の薔薇の我なれば 花は盛りにあはずして蕾ながらに朽ちはてん

運命に散るゝ花薔薇の薄きゑにしを悲しみて さびしさ詫びる歌の音のひくきを如何に怨みんや」

 

碑文は「野ばら」の序詩で、玉萩の評伝の著者相沢史郎の筆を刻んでいるそうです。また、デザインは彫刻家の新関八紘によるものとのこと。

 

 

 

 

 

 

玉萩を難産したことによる母の死。玉萩自身も体と言語に障がいをもって産まれ、その後過ごした日々の切なさをよく表していると感じます。

 

句を詠んで、北上の街が、誰一人取り残さない住みよい、住みたい町になるよう皆で力を合わせ創っていこうと強く思いました。

 

ここからは最終盤の詩歌の森公園へ。

 

 

 

 

ここでは「日本現代詩歌文学館」の設立に尽力したお二人、山本健吉さんと井上靖さんの碑を見ました。山本健吉さんの碑には「夢中落花」、井上靖さんは館名碑「日本現代詩歌文学館」の文字が刻まれています。

2つの碑のデザインはお二人と親交の深かった岩手出身の彫刻家舟越保武によるものだそうです。(前掲冊子より)

 

 

 

 

 

 

この公園に行ってみると、その一角に昭和の時代に見られた建物が生け垣に囲まれてぽつんと一段高い敷地に建っています。ここに行くたびに気になってはいたものの詳しいことは知ろうと思わなかったことでしょう。

 

 

 

 

「菊咲けり陶淵明の菊咲けり」

なんと盛岡市出身の山口青邨(やまぐち せいそん)宅で、杉並から移築復元されたものとのこと。さらにその屋敷の周りは四季折々の草花を楽しめる雑草園となっていたのだそうです。今回の文学散歩の最後を飾る場としてふさわしいと言えるでしょう。

 

 

 

 

ノロッコの拙稿を機会に訪れてみてはいかがでしょう。

 

散歩の終盤には雨がポツリポツリと降ってきました。幸い一行が昼食をとるために文学館の和室に入ってから本降りとなりました。それぞれが持参した美味しそうなおにぎりと館内の「フォルダ Cafe」さんの美味しいミネストローネスープを食べて、しばし思い思いの格好で時間を過ごしました。皆さんはまだお元気な様子、ノロッコは立ち上がるのも大変でした。

 

 

 

 

柳原駅前で閉会式の予定でしたが雨模様のこともあり、ここで行いました。13時25分に文学館前に集合、それまでは自由時間。

 

ノロッコは、カフェでカプチーノを頼み、テイクアウトにしてもらいました。大きな声では言えませんが、カプチーノを待っている間、しばし眠っていたようです。集合時間に間に合って柳原駅に向かう頃には雨も上がり青空も見えていました。

 

 

 

 

13時45分ほぼ満員になった北上線に乗って14時01分横川目駅に到着。

 

三々五々帰宅の途へつきました。

 

ノロッコも疲れた足を引きずり?お世話になった方々に一言お礼を言って愛車「ダイアナくん」のドライバーズシートに座って「らくちん!」安全運転を心がけ自宅へむかいました。

 

おしまい