KITAKAMI NEWS

【市民ライター投稿記事】高校生・専門学生がVRで認知症を体験

2023年12月21日

市民ライター 若山 利夫

 

 

市民ライター若山がお邪魔しました。

 

 

はじめに

 

 

この寄稿は、認知機能に何らかの障がいを持つ人(文中「認知症の人」と記述します)のみならず、ある種の病(やまい)や障がいをもってなお懸命に生きようとする人たちを差別しない社会を、創っていきたいという強い願いを込めて記しました。

 

 

さて52年にわたり薬剤師として働いて来た私は、つい10年ほど前まで認知症のことは、薬を通してしか知らなかったといって良いでしょう。昨今の認知症の人を取り巻く環境は、大きく変わりつつあると言えます。2023年6月16日、認知症基本法が公布され1年以内に施行されることになっています。共生社会への法的裏付けができたことになります。

 

 

しかし、実際に隣近所といった地域社会に住む人にとっては、今日から今からの課題もあるといって良いでしょう。先に記した差別しない社会を創るためには、若い時、できれば小学生の頃からの「生命」の教育に大きな鍵があると私は思っています。

 

 

去る2021年から専修大学北上高等学校で、2023年からは専修大学北上福祉教育専門学校で北上市と連携して認知症の体験授業が行われています。大変素晴らしい取り組みと思い、今回取材させていただきました。

 

 

授業開始

 

 

10月12日午前10時10分から千葉県浦安市に本社のある高齢者施設を運営する会社のインストラクターとオンラインで授業。

 

 

担当の先生に自己紹介をすると「VR体験しますか?」と言われ、即座に「倒れてしまいますから・・・」と答えた私でした。

 

 

スクリーンの向こう側で、インストラクターがVRヘッドセットの取り扱いの説明をしています。電子機器には慣れていると思われる高校生・専門学生ですが・・・ちょっと戸惑う人も!人それぞれですよね・・・。

 

 

また、女子学生さんは髪の長い方もいて、着けづらそうにしている方も・・・。皆さんが着け終わると、さっそく事例映像を映して続けて解説。

 

 

 

 

皆さん起立してほとんど動くことなくVRに入り込んでいるはず・・・。私は、スクリーンに写っている映像を見ているだけなので、皆さんがどのように見えているか少し気になります。

 

 

 

 

 

一つ目の事例は、「わたしをどうするの?」というタイトル。介護施設に着いた送迎用のバスから、ある女性を降ろそうとする場面です。女性は、「わたしをどうするの?」と言って降りようとしないどころか怒っています。

 

 

このような事例にあって、あなたならどうする?というのがインストラクターからの問いでした。これをグループで話し合ってほしいというのです・・・。

 

 

この授業は、事例を認知症の人の視点でVR体験したあと、問いについてグループで討議し、グループの代表の方がその結果を発表するというスタイルで進められました。

 

 

 

 

この事例からは、認知症と一言でいってもその種類は多く、主症状もそれに応じて違いがあることを学びます。この女性は、送迎バスの階段を高い建物の上にいるように感じていたそうです。これは、空間認知能力に障がいがあるためで、こうした人がどのような世界にいるのか・・・皆さんはVRで体験をしていたようでした。

 

 

このような人に出会ったとき、どのように接するかは、認知症の症状も人それぞれであり、決まったマニュアルは無いとのことでした。

 

 

そこで、本人の話をどのように聴くか・・・ということが極めて大事なことになってくると・・・

 

 

「聞くということ」、「聴くということ」この2つの「きく」の違いを意識し、認知症の人の気持ちに寄り添って「傾聴」、「聴く」ということが大切とのことでした。

 

 

私は、最近『「聴く」ことの力-臨床哲学試論』(1999年7月2日、鷲田清一、阪急コミュニケーションズ)という本を読みました。その内容は極めて哲学的なので詳しくは述べませんが、話すことより聴くことがいかに大事で、難しいことなのかを感じています。

 

 

まして、認知症の人は、そうでない人に比べかなり違う世界に住んでいる可能性があります。そのことを心に留めて「その人」に寄り添い、聴くことが重要であると思っています。そして、それが特別なことではなく、日常生活の一コマになること、それが極めて重要と感じています。

 

 

2例目は、レビー小体型認知症の人がシナリオを書いて映像化したものということでした。この認知症の人の世界は、現実には存在しないものが、まさにそこに存在するかのように見えている(幻視という)とのことでした。現実と違う点は、見えているものが何かの刺激で次の瞬間には消える・・・または、誰かに声をかけられるまでいつまでもそこにいる!という点です。

 

 

映像は勿論、その場にいるような感覚になるVRの世界でも、最初は何がおかしいのかわからないかもしれません。

 

 

私自身、レビー小体型認知症に特徴的な「幻視」を取り入れたVRの映像と知っていても、見逃してしまう部分がありました。

 

 

幻視は、ちょっとした周りの人の声掛けなどで消えてなくなるのですが・・・何かを食べようとしたそのときその皿に虫がはっているのが見えたら・・・皆さんはどのように反応するでしょう・・・?

 

 

他人(ヒト)の想いの内は、分からないのですが、自分事として想像を巡らすことでその人のいる世界を推量することはできるのではと思います。それが他者への配慮となり、優しい世界ができるのではないかと思います。

 

 

「そこに虫が・・・!」といって怖れるレビー小体型認知症の人に、「何言っているの!そんなのいやしないから平気だよ!」と怒る場面ではないのです。

 

 

3例目は、見当識障がいという自分のいる場所や時間が分からなくなる症状をもった認知症の女性が、電車に乗って横浜へ行くという設定でした。

 

 

その場所へはどのように行くか・・・今どの辺りなのか、どこで降りたら良いのか分からないまま乗り続ける「彼女」・・・!

 

 

そんな彼女を乗せて電車は終点の駅へ・・・戸惑いながらホームに降りて、眼の前の駅員さんに「ここはどこ?」と聞くと、駅員さんは「出口はあちらです!」と答えました。戸惑う彼女!それはそうですよね!聞いたことと違う答えです。そのまま立ち去る駅員さん。

 

 

その時、「なにかお困りですか?」と「彼女」に聞いてくれた「ひと」がいた。「彼女」は言います。「横浜へ行きたいのですが・・・」「横浜へ行きたいのですね!」さらに「そのひと」は、「その電車のところまでご一緒しますね!」と付け加えていました。

 

 

私は、認知症の人の多くは、外へ出ると全く違う外国へ来ているような感覚になるのだと聞いたことがあります。そのような時に「なにかお困りですか?」の一言は千人力にも感じられるはずです。

 

 

認知症の人の約半数近くはアルツハイマー型認知症と言われています。種々の認知機能が落ちていることがわかっています。しかし、街を歩いているその方々は全く一般の人と変わらない姿でそこにいます。認知機能に障がいがあってもできることはたくさんあるのです。

 

 

その事実を若い方々が知ること。そして、そのような場面に出会ったときに、ちょっとした配慮を巡らし優しい声をかけること・・・このような街にすることで、どんなに皆さんが住みよくなるか授業を通して想像してほしい。多分そのような配慮ができる・・・そんな皆さんになってほしいとの想いの授業なのでしょう。

 

 

そのような行動が日常生活の中で、できるようになることは、将来皆さんが安全に安心して住むことができる街を創ることになる・・・のではないでしょうか。

 

 

 

 

これは私のアイデアですが、授業の企画段階に高校生・専門学生を加えるのも面白いと思いました。先生やインストラクターは、その時少し手を貸すだけにすると良いのではなどと感じました。

 

 

このような授業は大変素晴らしい取り組みだと思いますし、ぜひより実りあるものにしてほしいと念願するものです。