KITAKAMI NEWS
【20代の肖像】vol.38“選手”だけじゃない。 いろんな場所で輝けるように。
“選手”だけじゃない。
いろんな場所で輝けるように。
vol.38 橋本 遊(はしもと ゆう) 26歳
「背が低い」というハンデを乗り越えて。
「自分は昔から背が低くて、でもなぜか小学3年生からずっとキーパーだったんですよ(笑)」
北上市を拠点に活動する「ヴェルディS.S.(サッカースクール)岩手」でコーチを務める橋本 遊(ゆう)さんに、自分がやっていたポジションを尋ねると笑顔でそう語ってくれました。キーパーといえば身長が高いイメージですが、小さい頃から背が低かった遊さんはそのハンデをボールへの反応の速さやコーチング(指示出しや激励などの声掛け)で乗り越え、さらに上手くなりたいと小学5年生の冬に同スクールに入ることに。
「ヴェルディにはそれまで小学生を対象にした登録生コースがなかったんですけど、そのとき小学生の登録生コースが新しくできると聞いて、すぐに入ろうと決めたんです」
「ヴェルディS.S.岩手」はJリーグの名門クラブ「東京ヴェルディ」公認のサッカースクールとして1998年に誕生。以来、世界に通用するクリエイティブなプレイヤーの育成と、サッカーを通して地域のスポーツ文化の発展に寄与していくことを目標に、20年以上にわたって北上・花巻地区の子どもたちを中心にサッカー指導を行っています。北上市出身の遊さんは同スクールの小学生の登録生コースの第1期生となり、中学を卒業するまでそこでサッカーを学んだのでした。
「一番の思い出は、中学3年のときに県リーグで優勝して東北のリーグ戦の出場権を勝ち取って卒業したことです。しかも後輩たちもがんばっていて、それ以降1回も県リーグに落ちることなく、今自分が教えている子たちもそのリーグで戦っているんですよ」
誇らしそうにそう語る遊さんに子どもの頃の夢を尋ねると「サッカー選手」と答えるかと思いきや……。
「『サッカーの指導者』になることだったんですよ。小学校の卒業文集にもそう書いてあります(笑)」
遊さんは今まさにその夢を叶えているわけですが、その道のりは……。
選手・審判・コーチ、さらに大学リーグの運営も。
中学を卒業した遊さんは北上市のお隣にある花巻東高校から声を掛けられ、同校に進学しサッカー部へ。その後の大学もさらに上のレベルを経験するため、東京に進学します。
しかし、高校・大学と成長するにつれ、キーパーとしては背が低かった遊さんはますます身長のハンデが大きくなり……。
「花巻東では2年生からキーパーとしてスタメンで試合に出られるようになったんですが、県の高総体が終わってから徐々に控えにまわるようになって……。
3年生のときはほとんど試合に出られなくて、選手としてはその一年間が一番苦しかったですね」
しかし、そんな遊さんを支えてくれたのは……。
「3年生になるとキーパーの練習内容は自分が考えることが多かったんですよ。自分だけでなく後輩たちもキーパーとして上手くなるためにはどんな練習が必要かを常に考えて、みんなとも話し合いながら練習を工夫していました。
高校時代は選手としては思うように結果を残せませんでしたが、自分が考えた練習メニューで今までできなかったことができるようになる仲間の様子を見ると自分もうれしくなったし、それが自分の励みにもなりました」
そうした考え方は大学に進学しても変わりません。
「自分が進学した拓殖大学のサッカー部は、自分と同じように全国からサッカーをやりたくて入ってきた部員が200人以上もいました。そのなかで自分はサッカーの指導者になるという夢があったので、3年生のときに監督に直訴して2年間コーチもやらせてもらいました。
主に1年生を担当したのですが、プロをめざすヒトから純粋にサッカーを楽しみたいヒトまでいろんな考えを持った部員に対して、それぞれの志向に合わせてレベルアップできるように練習内容を考えたり、声掛けしたりするのは指導者をめざす自分にはとても勉強になりましたし、良い経験になったと思います」
遊さんは選手、拓殖大学サッカー部初の「学生コーチ」、さらに審判や指導者の資格取得に加え、関東大学サッカーリーグ戦の運営にも学生幹事として関わるなど、大学4年間を通してサッカーのことを幅広く学びました。
そして、大学卒業後には……。
“選手”だけじゃない。スポーツの“夢”をひろげたい。
大学を卒業した遊さんは監督の紹介で静岡県にあるJ3のクラブ「アスルクラロ沼津」のスクールコーチに就任。
「夢だったプロのサッカー指導者として就職することができてうれしかったです。
やっぱりプロのクラブなので優秀な先輩コーチがたくさんいて、トレーニング方法はもちろん、選手への接し方など指導者としての立ち振る舞い方、それに指導者として学び続ける姿勢も大事だと教わりましたし、スクールの運営方法なども身近で見ながら本当にたくさんのことを学ばせてもらいました」
そんな遊さんに一本の電話が……。
「利三さん(ヴェルディS.S.岩手代表)から『コーチとして戻ってきてくれないか』と言われたんです。
ヴェルディは自分が子どものときにお世話になった場所ですし、自分としてもプロの指導者としていつか地元に戻ってヴェルディで子どもたちにサッカーを教えることは夢だったんですよ。
そのことは利三さんと以前お会いしたときにも話していて、それを利三さんも覚えていて、そういう自分に声を掛けてくれたということがすごくうれしくて、『はい』と即答しました」
遊さんが北上市に戻り、「ヴェルディS.S.岩手」のコーチに就任したのは2年前。プロの指導者として地元で子どもたちにサッカーを教えるという夢を叶え、現在は幼稚園児から15歳までの子どもたちにサッカーを教えています。そんな遊さんに今後の目標を尋ねると……。
「大学サッカーやJ3のスクールコーチを経験するなかで、 “選手”はもちろん、審判や指導者、スクールやクラブのスタッフ、大会の運営など、さまざまなところで活躍しているヒトたちをたくさん見てきました。
そこで学んだのは、もちろん“選手”として成功することも大事ですが、それ以外でも輝ける場所はたくさんあるということです。自分はサッカーでしたが、大好きなスポーツに、“選手”としてはもちろん、いろんな方法で自分が輝ける場所を見つけて、いろんな場所で活躍するヒトを増やしていけたら、サッカーの楽しさ、スポーツの楽しさもさらにひろがると思っています。サッカーを通じてそういうことも子どもたちに伝えていけたらいいですね」
大好きなサッカーのコーチを通して、スポーツの“夢”をひろげようと奮闘する遊さん。その周りで元気にサッカーボールを追いかける子どもたちの未来が楽しみです。
橋本 遊さんが働く職場:ヴェルディS.S.岩手(一般社団法人 VERDE)
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