KITAKAMI NEWS

【市民ライター投稿記事】農民芸術としての鹿踊・鬼剣舞

2023年10月20日

市民ライター 若山 利夫

 

 

 

北上市の民俗芸能としては各地域の鬼剣舞や神楽、鹿踊(獅子踊)が知られている。今回、口内地区にその稽古の様子を取材に行ってきた。

 

私が、民俗芸能に少なからず興味を持っているのは、宮沢賢治の著した「農民芸術概論綱要」という著作を読んだからである。

 

おれたちはみな農民である。ずいぶん忙しく仕事もつらい

もっと明るく生き生きと生活する道を見付けたい・・・

(「序論」部分より)

 

従来、民俗芸能を伝承する意義には、数百年続く伝統を絶やさぬよう、地域で親から子へ繋いでいくということがあったのかもしれない。しかしそのような伝承は、時代の変化の中で維持することが難しくなっている。

 

先に引用した部分を“おれたちはみな「生活者」である”と読み替えると、もう一つの意義が見えてくるのではないか。つまり、民俗芸能は、みなが「もっと明るく生き生きと生活する」手段と考えても良いのではないか・・・?

 

今回の取材を通して、そんな考えを持った。

 


目次

1.6/17 口内鹿踊の稽古風景より

2.6/20 口内鬼剣舞の稽古風景より


 

 

 

 

 

6/17 口内鹿踊の稽古風景より

 

 

宮沢賢治の物語「鹿踊りのはじまり」が面白い。もしかすると、この物語の通り鹿踊りがはじまったのかもしれない・・・などと想像してみる。

 

 

物語は、疲れたわたくしが野原で眠るというシーンで始まる。その眠りの中で鹿踊りの本当の精神が草木のざわめきの声として聞こえてくるというものである。

 

 

実際の鹿踊りを見てこの物語を読むと、宮沢賢治の鹿踊りのはじまりは、賢治の農民への思いが詰まっているように思われる。

 

 

このことに話を広げると本題から離れてしまうのでこのあたりにしておこう。

 

 

6月17日(土曜日)事前に口内鹿踊の稽古が口内地区交流センターで行われると聞いていた私は、撮影機材を愛車に乗せてでかけた。この場所に伺うのは初めてであった。

 

 

まして祭りなどで見たことのある鹿踊りの稽古とは・・・どんなであろうかと、ワクワクして伺った。稽古開始時間より少し早く到着。交流センターへ入ると、すでに男女二名の方が稽古会場に。私は、動きのある撮影の時、必ず動きやすいようにスリッパではなく上履きを持参する。

 

 

 

 

稽古会場のホールは、きれいな板張りの床である。稽古でも激しい動きがあるから床は大事である。踊り手の足に無用な怪我をさせないようにするためにも、きれいに磨かれている必要がある。ここは、鬼剣舞の稽古にも使われている。

 

 

 

 

ここで鹿踊りについて調べたことを少々お披露目しよう(註1)。ご存じの方は読み飛ばしていただいて結構である。

 

 

あらためて岩手県内の鹿踊りの団体数を調べると、157団体があることがわかった。しかし、この中で現在中断している団体が20。廃絶したのは15団体である(いわての文化情報大辞典(外部サイト)より)。継続している団体でも定期的な活動ができている団体はどれくらいだろう。

 

 

そうしてみると口内鹿踊は、頑張っていると言えよう。

 

 

さて、鹿踊りは、大別して太鼓踊系鹿踊りと幕踊系鹿踊りになるそうである。口内鹿踊は、太鼓踊系で、その中でも行山流という主な流派を継承しているようである。

 

 

鹿踊り(太鼓踊系)は岩手県南部、宮城県北部、愛媛県宇和島周辺に残っている。宇和島のものは1615年に伊達政宗の長男秀宗が宇和島藩に入部したときに風流として演じられたということがわかっている。

 

 

さて、鹿踊りの稽古に戻ろう。写真は、踊る際に腰につけて叩いている締太鼓を締めているところと、この日唯一の女性踊り手の写真である。稽古の後半で、彼女が初めて鹿踊りの装束を着けて踊るとのことで、本人も楽しみにしているようであった。

 

 

 

 

 

稽古が始まる前に団体の広報担当の菅野さんに少々お話を聞かせていただいた。

 

 

農民芸術としての鹿踊りのルーツは種々語られているようであるが、私はつらい農作業や狩猟の合間に楽しみとして、また五穀豊穣と鹿などの野生動物の生命をいただくことへの供養と感謝として行われてきたのではないか・・・と思っている。

 

 

しかし、現在そのような歴史を感じ継承することは非常に難しいことと思っている。

 

 

このことについて菅野さんも難しいと言っていた。では、いまその民俗芸能を伝承するエネルギーとは何なのか・・・。

 

 

私が思うに、様々なストレスに晒されてきた一日の終りに、仲間たちと一緒に太鼓を叩き一心に踊ることなのではないだろうか。一日のストレスを忘れさせてくれるのではないかと・・・。

 

 

太鼓には不思議な力があるように思う。生命を底から奮い立たせるような響きがある。この響きには、生命の疲れを癒やし、生命力を湧き上がらせる力があるのかもしれない。

 

 

さて、稽古が始まると小気味よい太鼓の音が、ホールいっぱいに響き渡る。いっとき、その太鼓の音と独特の動きを続けると、次に歌の歌詞を皆で話し合っている。この歌詞の意味は、私にはわからない。

 

 

ひとしきりその話が終わるとまた、今度は歌も入っての稽古である。午後8時少し前までは4人の踊り手での稽古だったが、さらに2人が加わり6人となった。

 

 

 

 

 

 

6人の稽古に紅一点の彼女が、ササラ竹(註2)を着けて稽古するようだ。その準備を先輩が始める。彼女は装束を全部つけての稽古とのこと。総重量15kgにもなるそうである。

 

 

さすがに立ったままで装束をつけるのは難しいと判断、仰向けに横たわって着け、そこから立ち上がるまで、先輩の手を借りていた。

 

 

しかし、15kgもの衣装をつけて動けるのか・・・。

 

 

心配しながら見ていたが、フラフラすることもなく・・・ただ、顔の前の布がさすがに暑いのであろう・・・先輩が布を上げて風通しを良くしていた。

 

 

6人揃っての稽古が始まった。彼女は・・・頑張っている!・・・すごい!1人だけ装束を着けての稽古である。ひとしきり踊ったところで装束、特にササラ竹が緩んだのか、また横になって直していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

休憩を挟んで今度は、歌を交えての稽古である。この頃になると、疲れも忘れてリズムよく太鼓を打ち鳴らしながら踊っている。

 

 

こうした暑い中でも、真剣に打ち・歌い・踊っているからこそ、祭りなどで皆を感動させる演技ができるのであろう。

 

 

今回始めて、このように貴重な稽古の様子をみることができた。民俗芸能を継承するエネルギーの、新たな力と展開を知ったような気がした。

 

 

また、僅かな時間でしたが菅野さんと話ができたことに、心より感謝いたします。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6/20 口内鬼剣舞の稽古風景より

 

 

6月20日(火曜日)

 

 

口内鬼剣舞の稽古風景を取材するために、口内地区交流センターに午後7時少し前に着いた。前回鹿踊りの取材のために訪れたところと同じ場所である。

 

 

ホールに入るとすでに数人の大人と子どもたちがいて、色々会話が弾んでいた。鬼剣舞は、鬼の面を被り独特の装束に身を包んだ踊り手とお囃子で構成される。

 

 

口内鬼剣舞は、平成3年に北上市指定無形民俗文化財に指定されている。鬼剣舞について北上市のホームページによると。

 

 

北上市と奥州市で伝承されている国指定重要無形民俗文化財「鬼剣舞」は、「風流踊(ふうりゅうおどり)」としてユネスコ無形文化遺産登録を目指し活動してきました。令和4年11月30日、第17回政府間委員会は、「風流踊」の登録について審議し、登録を決定しました。北上市でユネスコ無形文化遺産の登録はこれが初めてです。 参考記事はこちら(外部リンク)

 

 

鬼剣舞の起源は、1300年前にさかのぼります。大宝年間(701~704)山伏・役行者が天下泰平、五穀豊穣、万民繁栄を願って舞った念仏踊りが始まりとされ、その後、戦の出陣・凱旋の際に踊られたのが広く世に伝わったと言われています。  参考記事はこちら(外部リンク)

 

 

のように記されている。さて前置きが長くなった。

 

 

午後7時からの稽古では子どもたちがメインになる。

 

 

 

 

 

 

お囃子は、太鼓1、笛2、鉦1でリズムを奏でる。

 

 

 

 

徐々に大人たちの踊り手が増えてくる。

 

 

 

 

 

 

大人が増えてくるとやはり全体的に雰囲気が変わる。
もちろん、それぞれの個性が現れているようにも見える。
このあと師匠が膝の痛みをこらえてお手本を・・・その後小休止。

 

 

 

 

 

小休止を挟んで太鼓の打ち手が変わった。なにか雰囲気が違ってお囃子に一種本番を演じているような感覚が・・・

 

 

と同時に、踊りにも何やら変化が・・・
このときのお囃子は、見ての通り太鼓1,笛4,鉦1である。

 

 

 

 

 

お二人の長老格の雰囲気は・・・いかがでしょう・・・いやあ!いかにも!いかにも!
自然体でいながらなにかスキのない佇まいを感じる。

 

 

 

 

 

お囃子が、笛3に・・・
そして踊り手は、扇を持っていた手に刀を模した物をそれぞれに持って踊り始める。
剣舞の迫力が伝わってくる。

 

 

 

 

 

 

 

お囃子の方々も本番さながら。

 

 

この後、子どもたちは抜けて大人だけの演技の稽古に・・・
子どもたちの頑張りに、私ももう少し頑張ろう・・・
太鼓が変わった。素人の私にわかるのはそのことぐらい・・・そして大人4人の演技に!

 

 

 

 

 

 

 

 

さすがに大人の演技は、迫力が伝わってくる。
そして大人2人の演技へ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回稽古の取材を通して、民俗芸能としての鬼剣舞をこの先も末永く残すためには、踊り手だけでなく、お囃子も含めた人材の育成が必要と感じた。

 

 

また、そのための過去の農民芸術としての価値をユネスコ無形文化遺産となった今、個々の地域での伝承だけでなくもっと大きなくくりで残していく努力が必要なのではと思った。

 

 

口内鹿踊と口内鬼剣舞の稽古風景を取材させていただき、関係各位のご協力にあらためて心よりお礼申し上げたい。本当にありがとうございました。

 

 

  • 註1:鹿踊りの詳細についてはいわての文化情報大辞典「鹿踊」(外部リンク)に、独特の装束である二本の「ササラ竹注」については国土交通省東北地方整備局ホームページ『【特集】鹿踊りのルーツと独特の衣装の謎に迫る』(外部リンク)に詳しい。また、岩手日日新聞2019年1月23日版には『民俗芸能身近に感じて 行山流口内鹿踊 26日ササラ張り替えWS 【北上】』(外部リンク )と題して、載っているので参照されたい。さらに、東京音楽大学の文化庁支援プロジェクトとして「オンライン芸能村」アートマネジメント人材育成2020年度企画B-1として3名の学生さんが「3匹が行く」として発表している。この発表に金津流石関鹿踊の師匠である阿部靖さん、行山流舞川鹿踊伝承者で東京鹿踊代表の小岩秀太郎さんが、一緒にオンライン発表会に出席され、鹿踊りのルーツと現状、近い将来のことを話されていた。この内容はYouTubeで東京音楽大学「オンライン芸能村」(外部リンク)で無料配信されている。興味のある方は1時間12分すぎから「3匹が行く」の発表になるので見ていただきたい。
  • 註2:一般にササラ竹とは竹を細かく縦に割いたものを束にしたタワシと同じように使われる調理器具と言われる。しかし、鹿踊りに使われるものは3メートルにもなるもので、竹を細く割ったものに和紙を巻き花のような飾りをつけて腰に差して踊る。女性用は若干短くなっているそうですが・・・?